年季明け記念講談会 開催のお知らせ
旭堂南歩。1991年10月22日兵庫県加古郡稲美町生まれ。天満南小学校、稲美中学校、播磨南高等学校、創価大学卒業。Joshin電機株式会社に就職。一年働いたが値引き交渉してくる客へのストレスが限界に達し退職。その後吉本興業の養成所N S Cに入学。漫才師として2年活動していた時にふと立ち寄った新宿末廣亭で【講談】と出会う。めちゃくちゃやってみたくなる。「人生一度きりやしな」が当時の口癖。少し経った時に「神田松之丞ブーム」が起きる。周りからはミーハー野郎と言われる。あながち間違いじゃない気もする。「神田阿久鯉先生」の元へ弟子入り志願。「東京の講談師全員観てから来なさい」と一蹴り。毎日講談会に行きまくる。平均年齢70歳の中で27歳が最前列で観てて奇怪な目で観られる。その渦中で浅草木馬亭にて行われた「ゴリンジャー」で旭堂南鷹、玉田玉秀斎を観て上方に講談師がいる事を知る。満を持して阿久鯉先生に2度目の志願。「君は上方に行きなさい」と1時間説得される。上方行きを決断。毎週夜行バスで大阪へ行って上方の講談会を回る。ある日の上方講談協会の定席「上方講談を聞く会」で<南龍襲名プチお披露目口上>が行なわれる。司会の南鷹がボケる。南龍がツッコむ。南舟がボケる。南龍がツッコむ。南斗がボケる。南龍がスカしてウケる。師匠南左衛門が爆笑している。東京では見た事のないフリーダムな爆笑口上に「ここに入ろう!」と旭堂南左衛門への入門を決意。2019年3月3日大阪は三国の小さな喫茶店で行われていた「無茶修行の会」へ弟子入り志願をしに行く。阿久鯉先生同様、1度は断られるつもりで決意を固めて行くと、「おぉ君が山本くんか。今日からよろしくな!詳しい事は後で!」とほぼ半確約を貰う。後で聞くと東京同様、客席にいる異様な若造が楽屋で話されていたらしい。お茶を飲みながら弟子入りを認めてもらい、その後、総会にて「旭堂南歩」の名前を貰う。東京同様「伯山ミーハー」と言われる。まぁあながち間違いじゃない。でも僕は関西、上方の方が好きだ。チーム南鷹との酒は楽しい。南龍兄さんは高座でイジっても笑ってくれる。南舟兄さんはずっとニヤニヤしてて癖になる。南斗兄さんはキツネうどんではなく親子丼定食を食べさせてくれる。(ちなみに南龍兄さんの時はキツネうどんだ)南左衛門門下には仕事を持った二刀流の先輩方がいる。寄席の世界では聞けない知識、経験を聞けてめちゃくちゃ為になる。南亰、南扇兄さんの「おじさん2トップ」はお坊さんとサラリーマンという姿を持ちながら度肝を抜かれる程、たまらなく面白い。南雲兄さんはアイスとハイチューをいつもご馳走してくれる。あとどんだけイジっても見事に返される。そして何より師匠・南左衛門と稽古の前と後に喋るのはめっちゃ好きだ。生意気にもあれこれやりたいと言うと「やって見い。俺を驚かせてくれ」と言う師匠はたまらなくかっこいい。そんな南左衛門一門に僕は入ってよかった。いつまでもこの一門は家族のようでありたい。ほんで弟子がふざけてるのをお父ちゃんの南左衛門が爆笑していて欲しい。僕の年季明けがそんな節目になれればいいなと思います。